想い 想い

想い

代表者の想い

それは、一度も住むこと無しに半世紀(50年)を経た家を相続したことに始まる。

大阪市の中心部に事務所付き戸建てに暮らしていた中で、高度成長期にはいり、収入も増えて、郊外の一戸建宅地を購入し家も建てたのだ。

父は収入も増えたが、当時仕事も忙しくなり、事務所と家が同じ場所にあるメリットには勝てず、結局新築した家に引っ越しはしなかった。
せめて、庭に実のなる木を沢山植えて、たまに遊びに行くといった、別荘的な感じの家であった。

子供心では、この郊外の家に行くことは嫌ではなかった。
すぐ近くに同い年の従兄弟がいたからである。
いつも山や川で遊び回っていた。

私も年長になると、休みの日にわざわざ行く気はしなくなり、また東京の大学に進学し、東京本社の建設会社に就職してからは、何年も行くことが無くなった。
この間、親が定期的に草抜きやメンテをしていたのだと思う。(私の記憶には無いが)

親が、年を取って車を手放すようになったとき、今度は兄か私が親を連れて草抜きに行くこととなった。

そんな兄は登山が趣味で、ヒマラヤ登山に行く際に会社を辞め、結婚して信州に行って、家具職人となった。

いっそ売ってしまおうと、知り合いの人に頼んで、不動産仲介会社に言って話を聞いて驚いた。

ニュータウンの募集の時には、親は徹夜して並んで購入した人気の戸建て団地であったが、今や団地の中は一斉に高齢化して、売りたい人が50人もたまっていて、価格も相当に下げないと買い手がつかないとのことであった。
代表者の想い 代表者の想い
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結局、空家のまま50年以上経過してしまったということです。

見回してみると、同様に空家のまま放置されている家が、散見され

結局、自分に維持管理をする役目が回ってきたのだ。

5年程前に、仕事での付き合いのある友人と飲んでいるときに、和歌山の高野山の麓での畑仕事を誘われた。

話は飛ぶが、飲み屋で、広告代理店を経営しているKさんと話をしていると、実家で年のいったお母さんが一人となり、それで長男は大阪市内の教員を定年で辞めて、大阪と和歌山の家を行ったり来たりして、田んぼで米作りをして母親の面倒をみるようになった。
しかし、畑は放置されて、梅の木の古木が5本、柚の木の古木が2本あり、季節にはタケノコもとれるというが、だれも収穫もしないとのこと。

そこで、その飲み屋の常連さんが、月に一度程度みんなで言って、畑で野菜作り、また古木から収穫しながら楽しんでいるという。

大阪に集合して、そこから飲み屋のマスターが運転して和歌山と大阪を往復してくれるのだ。

そのマスターが3年目に入る、いろいろ事情があって、参加できなくなった。

私以外のメンバーは、運転できない人ばかりなのだ。

よって、私がマスターの代わりを務めることになった。

大阪に出るのに、電車で1時間20分程度かかり、その上和歌山で畑仕事―これが結構重労働で、段々としんどくなってきた。

畑仕事を一通り学んだ私は、和歌山に行くにを止めて、相続した川西市緑台―多田グリーハイツの団地の戸建(空家)てで家庭菜園を始めることにした。

西宮の自宅からは車で35分くらい。山の中の抜け道で行くので、渋滞が無い。

和歌山で学んで、マルチを張って植え込みをすれば、草も生えず、成長も早い。

多田での家庭菜園を始めて、3年目、毎年耕作面積を拡大していったので、収穫期になると、ご近所に配らないと消化できないまでになった。

そこで想ったことがある。

郊外のニュウータウンでは空き家問題が問題になってきている。

戸建ては、空家になると、劣化速度が増していく。

また、庭木の剪定や草刈り等にも、労力や、外注すれば費用も馬鹿にならない。

こうした空家の活用していく方法があるはずである。

そう、このことがきっかけとなって、古い空家を再生し、再び価値を持たせ、それを賃貸していくビジネスを始めることにしたのだ。

元々デベロッパーに転職した私には、不動産の知識もあり、建築士の資格も持っており、新築マンションの開発を長年経験し、販売に当たっては、モデルルームを作ったり、パンフレットや広告物も製作してきたので、その経験値を活かすことができたのも主要因ではあるが。

そのような経緯から、単に、古い家を適当に修繕して安く貸すといった、この業界の常識とは出発点が異なっているのだと想う。

始めるに当たっては、多くの本も買い込み、自分なりに勉強した。

また、複数の大家の会にも入り、学んでいる最中でもある。

このホームページを創るに当たり想うことは、古家再生を通して、情報発信をしていきたいということ。

仲間と出会い、また、一軒づつ再生数を増やしていく中でも、多くの学びがある。

そのことを情報発信し、情報交換することを楽しみたいと想うのだ。

これからも、色んなことにチャレンジしていきたいと想う。

これからの自分がどの様な軌跡をを描くのかは分からない。

分からないが、楽しそうだと想うのだ。

その自己表現の場としての、ホームページありたいと想う。